前回のエントリーに続いて、本日も落合博満がらみの話です。
人間の好みや感覚というのは、歳を重ねていく度に徐々に変っていく。
学生時代の自分と還暦を迎えた時の自分とではだいぶ違いがあるのだろうと思うが、これは仕方がないことでもある。
ただ、その時の自分に合わないからといって聞く耳を持たないというのは実は非常にもったいないことなのかもしれない。
落合さんは25歳でプロ野球界に入ったという遅いデビューではあったが、大天才ゆえにこだわりも強く、当時のロッテオリオンズの山内一弘監督の熱いアドバイスにも耳を貸さなかったという。
山内さんはバットを降る際の腕の使い方を、「洗面器から両手で水をすくい上げるように」とか「ホースで水を撒く時のように」という独特の表現で私に伝えようとした。ところが、それを理解できなかった私は、「自分の思い通りにやって打てなかったらクビで結構ですから、俺のことは方っておいてください」と言ってしまった。そんなこともあって、なかなか実績を上げられなかった私は一軍とファームを行ったり来たりする羽目になったが、幸いにも三年目には首位打者のタイトルを手にし、翌年には史上最年少(二十八歳)で三冠王となった。これでプロ野球の世界で生きていく自信もついたのだが、この頃になると、バッティングに関して何かを考えた時、必ずと言っていいほど新人の時に山内さんから受けた指導のことを思い出すようになったのだ。気がつけば、パ・リーグの並み居るエースたちが、「打てるものなら打ってみろ」と内角に投げ込んでくるボールのさばき方には、山内さんの技術がインプットされていたのである。
そうやって高度な技術を自分のものにすればするほど、私は山内さんの指導内容が何を意味していたのか理解することができた。実は、山内さんの私に対する指導は見事なまでに的を射ていたのである。しかし、小学生が大学で学ぶレベルの学問を理解できないようなものなのか、新人時代の私には難し過ぎたのである。
(『戦士の休息』44~45頁より)
若い時って根拠のない自信があるから、自分のやり方が一番正しいと思い込んでしまうことってあるよね。
現役時代の私はテスト(中間・期末)前やテスト期間中であっても一人黙々と練習していたんだけど、ある日顧問の先生が、あまりにも勉強そっちのけで練習ばかりしている私にこう言った。
「勉強して成績が上がれば卓球の成績も上がる」
私はまったく理解できなかった。「1分1秒でも多く練習した方が上手くなるに決まっているではないか」と思った。
顧問の先生は、「勉強と卓球の法則」について、その方法で成功している選手や強豪校などの実例を出して丁寧に説明してくれたが、馬耳東風、貴重なアドバイスは右から左へサラサラと流れていった。
しかし大人になり、様々な経験を経ていく中で、先生の言っていたことが何となく理解できるようになった。
その時は卓球をやめていたけれど、例えば、仕事とまったく関係のないことを頑張ってそれなりに成果を出すと、それに比例して仕事の成果も上がっていく、といったようなことから、「一見関係のないもの同士の相乗効果」を実感したわけです。
確かに中学生時代、周りの勉強ができる選手を見て、「頭のいい戦い方するなぁ」と感心することがあった。
もちろん勉強を頑張ったことがどうのように影響して卓球が上達するのか(あるいはまったく関係ないのか)わからないが、勉強が卓球の上達に影響するということがあるように思う。
あの時先生のアドバイス通りにしていれば私にも良き影響があったのかもしれない。
別に後悔しているわけではないが、もう少し真剣にアドバイスについて考えてもよかったのではないかとは思う。
若い時は大人が言っていることで「何を言っているんだ」と理解できないことは多い。
しかしそれを最初から自分には無用のことだと決め付けるのはもったいない。
全国の卓球を始めて日が浅い選手諸君(小中学生)に私は言いたい。
キミはペン表ソフトをやってみないかと指導者から勧められた時、「なに言ってんだよ、やるわけねぇだろ」と聞く耳を持たなかったのではなかろうか。
ちょっと待っておくれ。
もう一度よく考えて、試しにペン表をやってみて、それから答えを出しても遅くはないと私は思うよ。
意外や意外、ペン表の隠れた才能が開花してメキメキ強くなるかもしれない。
落合さんは、美空ひばりやチャップリンの良さがわかるようになったのは、40歳を過ぎてからだったという。
40歳を過ぎてペン表ソフトの良さがわかって後悔しても遅いよ!
・・・・・・話が若干変な方向に逸れましたが、ようするに、一見トリッキーと思える意見でも一旦はちゃんと受け止めて、自分なりに咀嚼してみた方がいいかもよ、という話です。
では、本日はこのへんで。
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