最後のラリー
おじいちゃんと卓球をするのは久しぶりだ。最後に2人で打ったのは僕が小学6年生の時だから、約20年ぶりだ。
僕に卓球を教えてくれたのはおじいちゃんだった。
おじいちゃんは僕の父親、つまり息子に卓球選手になってもらいたかったのだが、若き日のおじいちゃんのスパルタ指導についていけなくなった父親はあっさりと卓球をやめ、中学では野球部に入部したという。
息子に叶えてもらえなかった夢を孫に託そうとしたのか、おじいちゃんは小学生の僕を街の卓球場へ連れて行くようになった。
4年生頃から本格的な指導が始まり、おじいちゃんは自分の家に卓球台を購入した。近所に住んでいた僕は学校が終わると毎日のようにおじいちゃんの家に行き、2人で練習をした。
おじいちゃんは優しかった。練習内容は厳しいものだったけれど、怒られたことは一度もない。歳を取って丸くなったのか、息子の時のような失敗をしないように気をつけていたのか。おそらく後者だろう。
ただ、ペンホルダーだったおじいちゃんに憧れ、自分もペンホルダーをやりたいと言った時だけは「絶対にダメだ」と怒ったような口調になった。「これからの時代はシェークやから」と。
本格的に卓球を初めて1年もすると、おじいちゃんとゲームをしても負けないようになった。
初めておじいちゃんに勝った時、本気で悔しがっていたおじいちゃんの顔は今でもはっきりと思い出せる。
中学生になった僕は県外の強豪校に入学し、卓球漬けの日々を送った。
僕が全国大会に出場した時は、どれだけ開催地が遠方であっても、おじいちゃんは応援に駆けつけてくれた。
高校生時代は奇跡的にインターハイに1度出場し、あっさりと初戦で敗退してしまったけれど、おじいちゃんは「出場しただけでも立派」と褒めてくれた。
今日、こうしておじいちゃんの家で久しぶりに打ち合ってみると、元気だった頃のおじいちゃんの姿を嫌でも思い出す。
僕が憧れた、あの強烈なスマッシュを、おじいちゃんはもう打てない。
何の変哲もない山なりのボールを返すだけだ。久しぶりに孫の球を受けて、いま何を思っているのだろうか。
おじいちゃんが打つと、キン、という独特の打球音がする。
ゆっくりと打ち合っているだけなんだけれど、なかなかラリーが続かない。
「ちゃんと打ち返してくれよ」と心の中で呟いた。いや、おじいちゃんのせいじゃない。僕のコントロールが悪いのだ。
キン。
おじいちゃんが打ち損じて、明後日の方向にボールが転がっていく。
もういいかな。
こみ上げてくる寂しさを胸の奥に感じながら、僕は骨壺をそっと抱え上げた。
卓球を始めたばかりの人がやる、いわゆる「壁打ち」の要領で、おじいちゃんとのラリーを試みたのだけれど、やっぱり的が小さすぎてコントロールが難しい。
骨壺を使って壁打ちだなんて、誰かに見られたら不謹慎だと怒られるかもしれないが、やらずにはいられなかった。
これが僕とおじいちゃんの最後のラリーになった。
いつものコメディ調とおもいきや、まさかのラスト! 最近読んだ短編で一番良かったかも。ありがとうございました。
たまにはこういうのもお願いします。あと夫婦のシナリオも好きでした
レイヤーRにスペクトルさん
わわ、めちゃめちゃ嬉しいお言葉!
ラストが全てなので、アップする直前にもっとわかりやすくしようと表現を変えたりしました 汗
いやぁ、伝わって良かったです!
またショートショートシリーズ書いてみたいと思います。
夫婦シナリオ(卓飯)もお気に入り頂き、2人に代わってお礼申し上げます 笑
落涙
てぐすさん
ありがたきお言葉に、感涙。