全日本でゲットした全農のパンフより、石川佳純選手についての記事を紹介

先日、全日本選手権の最終日に行って来たという記事の中にもちょこっと書いたが、その日会場内の全農ブースで行われていた「お米づくし抽選会」というものに私は参加した。

全日本最終日へ行って来た(2016)

見事に外れて「クリアファイル」をもらったのであるが、その時に一緒にゲットしたものがある。 

それがコチラ

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全農さんがやっているスポーツ支援について書かれた冊子のようなものである。

この中のメインが「KASUMls STORY」と題した企画で、石川佳純選手の素顔に迫るという主旨のもの。

いろいろと興味深いことも書かれてあったので、この内容をちょっこし紹介しようと思います。

 

卓球を始めるきっかけは、猛練習を重ねる母の姿

 
この特集は、石川選手の両親の説明から始まる。
 
石川選手の両親はともに卓球選手で、福岡大学卓球部の同級生。
大学卒業後、父・公久さんは広告代理店に、母・久美さんは実業団の福岡日産自動車に入社。
久美さんは3年間プレーした後、公久さんと結婚して引退。長女・佳純の誕生後に公久さんが福岡から山口へ転勤となり、子育ては新天地で行うことになる。
その後、次女の梨良が誕生し、2人は仕事に子育てに大忙しだったが、卓球が盛んな山口で暮らしているうち、自然と卓球を再開する。

 

「7年間、ラケットを握っていなかった」という母も、実業団でプレーしていたことを知った周囲の誘いを受け、復帰した。その後は夫婦で市民大会や県大会に出場するようになった。
 特に久美さんは「試合に出るからには一生懸命やりたかった。負けん気が出た」と猛練習を重ね、山口県の国体選手となった。(中略)
 そして、猛練習を重ねる母の姿を見ていた佳純は、白石小1年時に「私も卓球をしたい」と願い出たのだ。
 

40畳の卓球場を作る!

 
石川選手が卓球をやりたいと志願したのは6歳の時だったというが、どんな時でも真剣勝負がモットーの母は、幼い娘に意思を確認したという。
 
「遊びではなくスポーツとしてやりたいの?」「(全日本選手権に続く)大会にも出たい?」そんなまじめな問いに、佳純は「出たい」と答えた。幼い娘の覚悟を確認した母は決意する。「じゃあそれなら」。両親は娘の7歳の誕生日だった00年2月にユニフォームをプレゼント。練習漬けの日々が始まった。
 白石卓球クラブでは大人と練習や試合をするようになった。車で約1時間の距離にある防府市の練習場にも通った。約3カ月後の00年5月、小学2年で全日本選手権(ホープス・カブ・バンビの部)の山口県予選を突破。夏に行われた全日本選手権(ホープス・カブ・バンビの部)では小学2年以下の「バンビの部」で全国デビューを果たした。本選ではベスト64。この時、両親は全国大会のレベルを知り、娘の将来について「まだ半年しかやってないけれど、しっかりやれば小学生で一番になれる」と確信した。「じゃあ、自宅を卓球場にしよう!」。土地から探し始めて約1年後に完成した自宅は、1階が柱のない40畳の卓球場となった。
「費用はかかりましたが、本気で卓球をやるのだったら。(練習場までの)往復2時間分練習した方がいいと思ったので」と両親は振り返る。この「卓球場のある家」が石川の原点となった。
 
始めて半年、しかも優勝とかではなくベスト64(もちろこれも凄いが)という成績で「よし、自宅を卓球場にしよう!」とは普通はならないよね。
よほどの才能を感じたってことなんだろうね。

随所ににじみ出る人柄のよさ

 
石川選手は今でも帰省するたびに自宅1階の卓球場(山口ジュニアクラブ)に顔を出すそうであるが、石川選手は子供の頃、ここのクラブで特にあいさつや礼儀など、礼節の大切さを学んだという。
それはプロ選手となった今でも、人柄のよさとして随所に現れる。

 

「石川モデル」のラケットを手掛ける卓球総合メーカー「ニッタク」の関係者は明かす。08年10月に開発、発売したラケットは「佳純ベーシック」という商品。その名の通り、シンプルでビギナーから中級者が使いやすいモデルだが、5575円(税込)で売り出した。1万円を越えるものが多いラケットの中では低価格。当時15歳の石川が「みんなに使ってほしいから高くしないでね、ニッタクさん」と申し出たことから実現したという。同年代の中高生にも買いやすいようにという思いが込められていたのだ。
 
15歳でそんな気遣いができるなんて、ああ感心。
 
また、石川選手は蘇州の世界選手権の時「大会プレスパスの取得をめぐって往生していた記者を見かけると、大会サイドと積極的に中国語で交渉。メディアと大会側の橋渡し役も買って出た」というエピソードも紹介されている。
 
自分のことで精一杯のはずの大舞台で、他人のために動くというこの気遣い。なかなかできるものではありませんな、うん。
 
 

実はけっこう遅咲き!

 
この特集に載っている石川選手の小学生時代の実績を見て驚いた。
 
愛ちゃんやミウミマといった他のスター選手と比べ、石川選手は意外にも全国大会での初優勝は小学6年生なのである。
 
うーん、低学年の頃からチャンピオンだったと思い込んでいたんだけど、ぜんぜん違うんだね。
 
小学2年でベスト64
小学3年でベスト32
小学4年でベスト16
小学5年でベスト8
小学6年で優勝
 
これだけのスーパースターにしては遅咲きと言えるよね。
 
最近は活躍する選手の低年齢化が進んでるけど、石川選手のように、確実に強くなりながらちょっとずつ上にあがっていったという実績を見ると、なんだかいろいろと希望が沸いてくるね。
 
 
でもやっぱり愛ちゃんやミウミマと同じく、親が徹底的にサポートしたという事実は大きいよね。
親のサポートなしになかなかなこれほどのスター選手は育たないということでもある。
 
しかーし、最近ではエリートアカデミーナショナルトレーニングセンターができたりと、トップを目指す若い卓球選手の練習環境はどんどん良くなっている。
 
親からのサポートがあまり受けられない選手であっても充実した環境で練習ができるように、全国のあちこちにそういう施設ができるといいよね(誰が金出すんだよ!)。
 
 
そんなわけで、本日は以上です。
 
ではまた。

2 件のコメント

  • 石川選手、今年、2017年も是非、全日本で優勝してください
    千駄ヶ谷で応援しています。

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