チャンピオンの異常性―「負ける人は無駄な練習をする」水谷隼(著)

 

今頃になってようやく読んだよ、水谷隼選手の書籍第2弾。

 

負ける人は無駄な練習をする―卓球王 勝者のメンタリティー

 

ということで、感想などをちょっこしと。

第1章 「試合で生きる練習」と「無駄な練習」
第2章 勝者になるためのメンタル
第3章 チャンピオンの異常性
第4章 勝つためにコーチに求めるもの
第5章 卓球は予測の集合体である
第6章 外へ飛び出す勇気
第7章 用具に妥協なし
第8章 負ける人は負けるパターンを持っている
第9章 追い込まれた時の戦い方
最終章 恐怖感との戦い

 

本書は2016年の3月に発売された、つまり「全日本選手権で8度目の優勝を達成し、リオ五輪に向かう前」に書かれたものである。

書籍第1弾は、試合で勝つためのノウハウが書かれた本であったが、本書は「チャンピオンの頭脳と心」が詰め込まれた本である。

卓球を始めたばかりの中学生が読んだならば、深淵な思考の渦に呑み込まれてパニックとなり、その重厚な言葉の数々に押し潰され、ショックのあまり卓球をやり続けていく自信をなくすかもしれない。

それぐらいのパンチ力を持った内容であったわけだが、そこにあるのは水谷隼という男の、卓球界の常識を丸ごと吹き飛ばすかのごとき「異常性」である。

第3章(チャンピオンの異常性)は、『強い人、チャンピオンというのは「異常者」だ』という言葉から始まる。
のっけから強烈な表現であるが、これを悪い意味として使っているわけではない。
他人と違う考え方や行動、執着心を持つ人、つまり異常性を持った人」という意味として用いられている。

そしてその異常性を持たなければ、日本や世界の頂点には立てないと語る。

コーチの意見に従わないとか、違う意見を言って、他人と違う道を歩けば、マイノリティー(少数派)なので居心地は悪いし、批判もされやすい。まさに日本では出る杭は打たれる。だけれど、チャンピオンは突き出た杭なのだ。叩かれても叩かれても突き出ていくからチャンピオンになれるのではないだろうか

「異常性」は良い意味では「個性」という言葉に置き換えられる。誰もが個性は持っているが、勝つ人の個性というのは他とは違う。勝つための個性――異常性を持っているからこそチャンピオンになれるのだ。
私は生まれながら勝つための異常性を持っていたのではなく、勝つために「異常性」を備えたと思っている。異常にならないと世界のトップ、日本のテッペンには行けない。

 

水谷選手は子供の時に「普通の選手では試合には勝てない」「異常な選手」にならないと試合では勝てないと気づき、自分の異常性を高めようとしたという。
だからこそ、中学2年でドイツに行くことを自分で決めたそうだ。

中学2年と言えばまだ14歳。
普通であれば「隼はまだ~14だから~♪」と、センチメンタルジャーニーよろしく呑気に歌っちゃったりなんかしていてもおかしくはないお年頃。
しかし水谷選手は究極の異常性を追い求めてドイツへと旅立ったのである。
とんでもない孤高のテーブルテニスジャーニーである。

全日本選手権決勝で勝つ人、五輪の大舞台で力を発揮できる人は、誰もがそういう「異常性」を持っている。もしくはそういう異常性を自ら作り出し、自分の世界に入り込める人だ。
指導者に言いたいのは、チャンピオンのそういった側面を否定するばかりではなく、理解してほしいということだ。チャンピオンという人種は必ずそういう異常性を持っていて、それがないとチャンピオンにはなれないのだと。
世界選手権や五輪で戦うことは大きなプレッシャーを背負うことになる。(中略)
上に行けば行くほどプレッシャーが大きくなるし、試合で勝てない人というのはそのプレッシャーに呑まれてしまう人なのだ。
そのプレッシャーに打ち克つ人は、異常なまでに自信を持てる人、異常なまでに執念を持った人である。

 

水谷選手の言う異常性とはつまり「異常なまでに得点に執着できるかどうか」ということ。
それは得点を取るために全てをかける、全てを犠牲にする、という覚悟のことであると私は感じた。

そして多くの指導者が説く「人間力」でさえも、水谷選手の異常性の前では、必要のないものとして一蹴される。

日本の指導者は「人間力が重要」「人間力を鍛えろ」と選手によく言う。しかし、私は全く理解できない。
さらに「卓球を通して一流の人間になれ」という言葉は一番嫌いなフレーズだ。「卓球を通して」という時点で、卓球を下に見ているし、卓球を土台にしているのだ。卓球に懸けていない。私は卓球に全てを懸けているのに、「卓球を通して……」と言っている時点で試合で勝てるわけがないと思っている。
(中略)
もし、「人間力が高い=人に優しい、信頼できる人間性、誠実な人柄、責任感がある」という意味ならば、それは試合で勝つ性質とは違うものだと思う。あいさつをしっかりするというのはスポーツマンとして、人間として当たり前のことだ。チャンピオンとして模範になる行動を示すということも理解はできる。
しかし、「人に好かれる人間になれ、でも試合でも勝てよ」というのは矛盾している。指導者の都合の良い理屈にしか聞こえない。試合で嫌われるほど強いから、チャンピオンになれるのだ。

 

大相撲の世界において、その最高位である横綱は、強さだけでなく、「品格・人間性」まで要求される。
大横綱である白鵬でさえ、土俵上の振る舞いについて「品格がない」とたびたび批判を受けるが、強さと品格(人間力)の両立は、私たちが思っている以上に難しいものなのかもしれない。

しかし水谷選手の異常性とは、あくまでも卓球における「水谷隼」というブランドを輝かせるためのものであり、その輝かせる方法というのが唯一「勝つこと」だけなのである。

「卓球を離れた自分が取っつきにくいヤツだとか嫌なヤツと思われるのは好きではない。だから普段は努めてフレンドリーに仲間に接するようにしている」と語るように、普段はとってもナイスガイなお兄さんのようである。

そんな水谷隼という希代の卓球選手の意識と考え方がグングンに詰まった本書。

この本が書店において、哲学書やビジネス書の棚に陳列されていたとしても私は驚かない。
つまり卓球に興味のない人が読んでも得るものが多い書であるということだ。

 

水谷選手はリオ五輪後にあらゆるメディアに出まくり、卓球のみならず、水谷隼という人間そのものの魅力を日本中に伝えた。
そのダメ押しとして、今後なにかの番組に出演するとすれば、それは「踊るさんま御殿」でもなく「徹子の部屋」でもなく、ぶっ飛んだ冒険家や探検家をゲストに招く、松本人志さんの番組「クレイジージャーニー」ではないだろうか。

どんな秘境の冒険や、どんな危険なスラム街への潜入より、水谷選手の世界チャンピオンへの冒険は、私たちをハラハラドキドキさせてくれるのだから。

そういう意味でいうと本書は、卓球界の狂気の旅人・水谷隼の冒険を、より一層楽しむためのガイドブックであると言えるのではないだろうか。

 

負ける人は無駄な練習をする―卓球王 勝者のメンタリティー


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4 件のコメント

  • やはり彼らしい強烈なコメントですね(汗
    まさか人間性を磨くことまで否定されるとは思いませんでした

    • シンタローさん
      最低限のマナーや態度は自然と身に付くので、ことさら意識する必要はないということだと思います。
      水谷選手が言うと、誰が言うより重く響きますね (>_<)

  • 絵画で有名なダリは『天才とは常人には理解不能な常軌を逸したもの』だと考えていたそうです。
    そういう意味だと水谷は確かに天才なんでしょうね。
    自分も常軌を逸した変なラケットで大会に出るような人になりたいですw

    • つぐさん
      最近ダリの絵画を見て面白いなあと思っていたところですが、そんなことを言っているのですね(素敵な言葉だ)。
      水谷選手もその域の人間なのでしょうね、きっと。
      私も常軌を逸しつつ、そこそこ理解されるブログを綴ってゆきたいものです(>_<)

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